たまりんの日記

のほほーんと生きています

自主規制問題の矛盾感

近頃トピックになっている芸人の闇営業問題。この事実を受けて、各放送局は対応に追われている。

 

https://m.huffingtonpost.jp/entry/ametalk-londonhearts_jp_5d11a5ace4b07ae90da26c4b


上の記事にもある通り、テレビ朝日は当該芸人の出演シーンを可能な限りカットする意向のようだ。その他の局も出演シーンのカットや番組の差し替えなどの対応で落着している。今般の事案の問題の根幹が知らなかったとはいえ反社会的勢力と関わりをもってしまったことなのか、その当該勢力から金銭を授受したことなのか、事案発覚当初に金銭の授受はしていないと虚偽の弁解をしたことなのか、事務所である吉本興業との契約を蔑ろにしたことなのか、そもそも吉本興業が芸人に支給する給与が過少でそれに対する不満が背景となりこのような問題が生じたのか、は分からない。恐らく全てに問題があるのかもしれない。いずれにしろ今回関わった芸人は自らの脇の甘さを猛省し、嗜め、諌めなければならない。一方で吉本興業は芸人との契約関係について不具合がないか再考しなければならない。そして、吉本興業以外の芸能事務所も決して対岸の火事とせずにタレントと事務所のリレーションシップを見直すという意味で、これはいい契機なのかもしれない。大仰にいうと、芸能界全体のシステムに問題があるのかもしれない。

 

今般の事案でとても気になるのが、コンテンツを自粛することに対する世俗のレスポンスの温度差だ。ピエール瀧さんや新井浩文さんが逮捕されたときには、「作品に罪はない」などの言説が展開され自主規制への反駁があり論争になったけれど、今回はさほどないように思える。逮捕と謹慎という二つの処遇を天秤にかければ、後者の方が自主規制への反駁が強いはずなのでは?とも思うが、そうはなっていない。逮捕事案のコンテンツ自主規制に強く反駁した人たちはなぜ今回の事案はなんの音沙汰もないのだろうか。その人たちにとっては、ドラマや映画は作品(コンテンツ)でありバラエティ番組は作品ではないということなのだろうか。それとも同じ芸能人というカテゴリでもよりミクロ的な俳優・ミュージシャンというカテゴリと芸人というカテゴリはコンテンツ規制という観点では性質を異にするものなのだろうか。もし仮にそうであるならば、ドラマ・映画とバラエティ、俳優・ミュージシャンと芸人、には目には見えない「階級」が存在するのかもしれない。それとも反社会的勢力との接点があったことに問題があるのだろうか。私には、ピエール瀧さんと新井浩文さんの事件のときにあれほどコンテンツ自主規制で騒いでおきながら、今回は沈黙しているのはなぜなんだろうと些かどころかかなりの具合でダブルスタンダード感満載のような気がしてならない。

 

「見たくないなら見なければいい」
「自主規制は何ら罪のない関係者へのサンクション(制裁)にもなる」
「罪を作品にまで憑依させるのは間違っている」

 

的な感じの見解を標榜していた人たちは雲散霧消してしまったのだろうか。「鉄は熱いうちに打て」というが、打ち損じがあったようである。