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未来と死

私の友人が亡くなった。交通事故だった。

友人は私と同じ年齢で高校の同級生であり、卒業後も親交があったために一報を聞いた時は衝撃で体が震えた。友人には夢があり、自己実現のために奔走し始めた矢先の出来事で、私としてはこれからどのような人生を歩むのか友人として楽しみであっただけに残念としか言いようがない。本当に悲しい。

この友人の死が契機となって、一昔前に自分が考えていたことを思い出した。それは人は(生物は)いつか必然的に死ぬというメメントモリであり、問題なのは自分がいつ死ぬかということで、いつ死ぬか不明瞭だからこそ常に最善の選択を意識し積み重ね、後悔のない人生を送ろうということだった。

これは私の人生の中では結構重要なことなのだが、すっかり忘却していた。それを友人の死で想起したのだ。それにしても、いつ死を迎えるかわからない人生の中で、なぜ人は夢や目標を持ち自己実現を図ろうとするのだろうか。いつ死ぬか不明瞭なのに、私たちは自分の未来が訪れることを当然のように思って努力し、自己研鑽をしている。

死を迎えたら、自分が努力してきたことも何もかも全てが泡沫に帰すのだ。それでも私たちは自己の未来の想像をせずにはいられない。夢を叶えた自分を、仕事終わりに任天堂スイッチをしている自分を想像しながら今を一生懸命に生きているはずだ。逆に言えば、未来に対して悲観的に憂慮することもできる。いずれ訪れる未来に対して楽観的であっても悲観的であっても、明暗あれども、来るべき未来に自分が存在していることを前提として考えている時点で、人間は案外ポジティブなのかも知れない。そういうポジティブが、先天的なものなのか、後天的なものなのかはわからないが、いつ死ぬかわからないからこそ、人間は生命への執着を、願いを持ちながら生きているのだと思っている。